若い頃の徳川頼宣は、父親に似て短気だった。
ある時、些細なことで怒った頼宣は、
脇差で近臣を殴り、額を傷つけた。
これを聞いた家老の安藤直次はすっ飛んで来て、
頼宣の膝を両手で押さえつけ、ついでにつねりあげた。
戦国乱世を生き延びた直次は屈強な戦士だったので、
つねられると非常に痛く、頼宣は動くこともできなかった。
そして直次は、
そのまま頼宣に説教した。
「聞けば家臣を殴ったとか。
殿がご自身で手を下されるほどのことがあったのならば、
何故家老の私に仕置のほどを申し付けられなかったのです。
殿ご自身が手を下されるなどみっともないことです。
そんなことでは紀州50万石を守れるような大将の器とは言えませぬ。
此度のことはすべて反省なさい。
もし反省なさらないようでしたら、私が江戸に行って此度のことを申し上げ、
頼宣様に切腹していただきますぞ!」
直次にこっぴどく叱られた頼宣は、自分が悪かった、
と謝ったので直次はやっと手を離した。
直次があんまり強くつねったものだから、
袴の小袖が両方ともつまみ切れ、
頼宣の両ももの頭には黒いあざができてしまった。
老年になった頼宣は行水する時このあざに湯をかけようとはしなかった。
近臣が、湯をかけるとお痛みになるのですか、と問うと、
「いや、このあざは直次が私に形見にくれたものなのだ。
このあざなしには、紀州50万石を維持することはできなかっただろう。
だから生涯このあざが消えないように大事にして、
ときどき眺めて反省するために、湯をかけないようにしているのだ。」
と頼宣は答えたという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく
→ 南龍公、徳川頼宣
ごきげんよう!