尾州長久手の戦に、成瀬隼人正(正成)は、十七歳であったが、
敵軍に乗り込み兜首を取り、
家康公の御覧に入れると、
「汝は勇士なり。旗本の兵寡し。先ずこれを守れ。」
と仰せになったため、御馬の先にあって息を継いでいた。
ところが先手が敵軍に辟易しているのを見て、駆け出そうとしたが、馬取が轡を取って、
「既に功名を遂げられました、然るを敵の中に入り命を亡くすのは何の益があるでしょうか!」
と言った。
これを聞いた正成は大いに怒り、馬取を罵ったが手を放さなかったため、
刀を抜いて峰打ちし、
「小利を貪り大義を失うのが武士の道か!
今日の戦は、敵破れ陣を陥れ、逃げる所を追い詰めた後に止むものだ。
名も知れぬ首一つに身を顧みる事など出来ない!」
しかし鞭打っても罵っても、馬取は猶も放さなかった。
この時、家康公は三十間ばかり隔てた場所で、これをご覧になっていたが、
「味方が足を貯め兼ねている。
壮士の死戦すべき所はここぞ!
ただその志に任せよ!」
と仰せになると、馬取この時、轡を放った。
成瀬は真一文字に乗り入れ、また兜首を獲って、東西を馳廻り、味方を恥ずかしめた。
「君が間近で進退剛怯を御覧になっているのに、
きたなくも逃げ走り、一体何の面目があって、後に人にまみえるのか!」
正成のこの言葉に励まされて、引き色だった者も踏みとどまり、進む者はいよいよ勇んだ。
こうして、その年の暮、成瀬正成には、根来衆五十人が預けられた。
家康公は、
「成瀬の長久手の働きは、軍功の士にも劣らない。」
と、感じ仰せになられた。
徳川家において、十七歳にして将となったのは、正成一人ばかりであるという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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