知恵伊豆の死に様☆ | げむおた街道をゆく

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松平伊豆守信綱が、発病した時、このように言った。
「私は病人に成ってしまったが、

隠居など仰せ付けられるように、などとは微塵も願わない。
何時までも職務を努め、御城にて倒れて死ぬ事こそ本望である!」

そういって毎日登城して出仕し、自身の家老たちには、
「今日御城において、私が病死すれば、このようにしろ。」
そう委細を申し付けてあった。

しかし病気は日を追って重くなり、小便も出なくなった。この事を伊豆守は嘆いた。
「私の病気の事を、上様はお尋ねなさっているそうだが、

小便のことまで上聞に達してしまったらどうするのだ。
このような事をお耳に入れるのは、なんとも恐れ多いことである。」

その後も病気は重くなり、伊豆守の養母が彼の枕元に付き添った。
その時、養母は言った。
「病気がこのように重くなった以上申しておく。

今までは後世のことなど一向に構わずにいたのであろうが、
この時であれば、万事を打ち捨て、後世のために念仏をするように。」

そう進めたが、これを聞いた伊豆守は、
「御尤もの事です。

ですが、私は幼年より召しだされ、格別の御恩を蒙った者ですから、

せめてその万分の一も御恩を報じたく、常に心がけてきましたが、

行き届かず、このような大病であれば尚更、御恩を報じることが出来ません。

ですから少しでも御奉公のことを心がけ、

『御奉公、御奉公』と唱えたいと思います。

なかなか、念仏を唱える暇はありません。」

そして、その後には、
「もはや死も近い。

この上の願いは、何卒お上の御精進日に病死致さぬように、との事であり、

出来れば七日に死にたい。」

と語った。
これは七日が彼の妻の命日であり、

息子たちの精進日が多くならないようにとの思いからであった。

十六日になると、
「明日は権現様御命日である。どうか、今日か明後日に死にたい。」

と望んだ。
 

そのため、その日は薬を用いず死をのみ待っていたため、

その本意のごとく、十六日に死去した。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 知恵伊豆、松平信綱

 

 

 

ごきげんよう!