慶長16年(1611)の事。
当時7歳の徳川竹千代、後の徳川家光は、早くも鉄砲の稽古を始めていた。
病気より回復し再び出仕し始めたばかりの、
この時16歳の知恵伊豆、松平長四郎信綱も、
病後の体ながらそれを見学に行った。
さてこの時、竹千代が引き金を引いたにもかかわらず、弾丸が発射されないことがあった。
火縄が途中で消えていたのだ。
竹千代は、
「火薬の詰め方が悪かったか?」
と、鉄砲をそのかたわらに置いた。
少しして竹千代はその鉄砲のことを忘れ、その銃口の前に体を動かした。
その時である。
「危ない!」
信綱は猛然と駆け出し、その鉄砲を蹴り飛ばした!
飛ばされた鉄砲はしばらくすると、轟音を立てて暴発した。
これは火縄が火皿に触れたままになっており、
火縄が再び燃え出したため弾丸が発射してしまったのだ。
信綱はとっさにその事に気が付き、鉄砲を蹴り飛ばしたのである。
この時家光の守役、青山忠俊は涙を流し、
「只今の振る舞い、形容する言葉も無いほどの忠節である。」
と、信綱を褒めたたえたという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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