本多三弥正重といえば、あの本多正信の弟であり、
徳川家康の配下として三方ヶ原、長篠などでも武功が在ったが、
何を思ったか三河を出奔し滝川一益の足軽大将となり、前田利家の足軽大将となり、
蒲生氏郷の軍奉行となり、
慶長元年(1596年)に到って、徳川家に帰参するという経歴の持ち主で、
その経歴にふさわしい武勇の人であったが、
性格がきつく、ちょっとした事で拗ねるという厄介な人であった。
家康の前でも散々その拗ね者っぷりを見せ、
家康から、「あいつもあれでは大名に成れないなあ。」と、
苦笑交じりの発言を引き出した人物である。
そんな本多正重であったが、二代将軍となった徳川秀忠の下に仕えるようになってからは、
少しく着実、謹厳の人となった、という評判が聞こえてきた。
これを知った徳川家康は正重を呼び出し、こう声をかけた。
「三弥よ、この頃はすこし嗜みの心が生ぜたか?
随分拗ねることが無くなったように聞いたが。」
こう言われて正重は、目を丸くして答えた。
「将軍様(秀忠)は、誠に御奉公しやすい方です!
あのようなご主君に拗ねごとを申すものは、
気違いに違いありません!」
これを聞くと家康、笑い出し、
「又、三弥の持病が起こったぞ。」
と言われたそうである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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