又、三弥の持病が起こったぞ☆ | げむおた街道をゆく

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本多三弥正重といえば、あの本多正信の弟であり、

徳川家康の配下として三方ヶ原、長篠などでも武功が在ったが、

何を思ったか三河を出奔し滝川一益の足軽大将となり、前田利家の足軽大将となり、
蒲生氏郷の軍奉行となり、

慶長元年(1596年)に到って、徳川家に帰参するという経歴の持ち主で、
その経歴にふさわしい武勇の人であったが、

性格がきつく、ちょっとした事で拗ねるという厄介な人であった。


家康の前でも散々その拗ね者っぷりを見せ、

家康から、「あいつもあれでは大名に成れないなあ。」と、
苦笑交じりの発言を引き出した人物である。

そんな本多正重であったが、二代将軍となった徳川秀忠の下に仕えるようになってからは、
少しく着実、謹厳の人となった、という評判が聞こえてきた。

これを知った徳川家康は正重を呼び出し、こう声をかけた。

「三弥よ、この頃はすこし嗜みの心が生ぜたか?

随分拗ねることが無くなったように聞いたが。」

こう言われて正重は、目を丸くして答えた。

「将軍様(秀忠)は、誠に御奉公しやすい方です!

あのようなご主君に拗ねごとを申すものは、
気違いに違いありません!」

これを聞くと家康、笑い出し、
「又、三弥の持病が起こったぞ。」
と言われたそうである。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 槍の三弥、本多正重

 

 

 

ごきげんよう!