さすが忠朝の子だ☆ | げむおた街道をゆく

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大坂夏の陣で本多忠朝が討死した時、彼には二歳になる男子(政勝)がいた。

その男子は、いまだ御用には立ち難いということで、

忠朝の兄・忠政のところへ引き取られ、
忠朝の家督は忠政の二男甲斐守(政朝)が相続して元のとおり五万石を領した。

ある時、忠政は引き取った二歳の甥に蜜柑をやろうと思って彼を呼んだのだが、
甥はどのように思ったのか忠政の側に来なかった。

そのため忠政は蜜柑を甥へ投げて与えたが、それでも甥は蜜柑を取らなかった。

そこで乳母が蜜柑を拾って甥に、

「さあ頂戴なさいませ。」

と言ったところ、
甥は、「投げたものは嫌だ。」と言った。

 

忠政は、これを聞いて、

「さすが忠朝の子だ。」
と言って褒めた。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 酒封じの神、本多忠朝

 

 

 

ごきげんよう!