ある時、竹千代(後の家光)が疱瘡を患って危篤に陥り、
側近の者たちがひどく心を悩ましていた時、
国千代(後の忠長)派では、これを聞いて大いに悦びあっていた。
そのうちに国千代が、「食事をもて。」と命じたので、
御台盤の間が竹千代の薬などをほったらかしにして、
騒ぎ立っているのを見た酒井忠勝は、呆れてしばらくこれを眺めていたが、
係りの者どもが国千代の御膳部だけにかかりきりになっているのに腹を立て、
「ただいま竹千代君のご疱瘡が重らせられ、
ひとりひとりが固唾をのんでご心配申し上げておるというのに、
国千代君がご兄弟の御身で、どうしてそれをお悦びになっているはずがあろうか。
食事も咽喉を通らぬはず。
それなのにかかる御振る舞いとは心外千万。
その御膳を差し上げてはならんぞ。」
と、声荒らかに罵って、御膳部を下げさせた。
すると間もなく父の秀忠が見舞いにやって来て、
「讃岐守(忠勝)、前に立つべし。」
と命じた。
それを国千代に対する無礼のかどでお手討ちに逢うものと考えた忠勝は、
「もとより覚悟の上、本望の至り。」
と畏まって、秀忠の先に立って竹千代の寝所に案内したが、
さいわい病気が峠を越えて顔色も少しはよくなっていたので、
秀忠は大いに悦び、
「いよいよ大切に看病せよ。」
と忠勝に声をかけ、再び忠勝を先に立たせて帰って行った。
その後、竹千代は全快し、忠勝の行為は世の人に称賛されたが、
忠勝の人物に感じ入った福島正則が、
「いま天下の武将、御旗本の英雄とは貴殿のことです。」
といって、秘蔵していた鹿の角の兜を進呈したのは、この頃の話だといわれる。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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