ある雑記に曰く、大猷公(徳川家光)の御代、老臣の面々に仰せに成られた。
「豊国社が現在廃れているが、これは道理に当たらない事だ。
秀吉に於いては敵と称する類に非ず、
そもそも当家(徳川家)興立の事も、彼の恩義に寄ってのものである。
であるのにかの霊社を捨てるのはいかがだろうか。
頃く修理を加え、祭祀の礼を以てすべし。」
この時、酒井雅楽頭忠世が云った。
「上意の趣、謹んで承りました。
但しつらつら考えてみた所、神霊は人の敬に集まり、
神威はこれより生じます。
これを廃する時は威が無く、威が無い時は祟りを成しません。
今、たとえ上意の如くしてこれを祭ったとしても、
正しく社稷の嗣である秀頼公は御敵として亡命しており、
である以上どうして神霊が祭を受けられるでしょうか。
恣に今これを取り繕えば、これ則ち御武威の虚となって、
邪気がこれに乗じて禍害を成すでしょう。
ただそのままに差し置かれるべきです。」
この意見を公も信じられ、その後これについての御沙汰は無かったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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