寛永飢饉☆ | げむおた街道をゆく

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寛永九年頃の初春より飢饉が始まり、

江戸や大坂の米価は、
慶長金一両で、六斗から七斗ほどにまで上がった。
 

さらに田舎でも米不足が深刻化し、四斗から五斗と求めても、
米自体がないために買えないありさまだった。
 

これに対応すべく、老中以下が集まって議論した。

その席で意見を求められた将軍・徳川家光は、
「町中では米が払底しておろうが、田舎には貯えがあるはずだ。
これは早速詮議して、在所より米穀を送らせ民が飢えぬようにせねばならぬ。」

と言ったという。
 

飢饉とは、どういうものなのか知らなかった、徳川家光、29歳の話。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 二世権現、徳川家光

 

 

 

ごきげんよう!