徳川家光の寵童に、酒井重澄という者がいた。
家光の重澄への寵愛ぶりは凄まじく、飛騨の金森家の生まれである重澄を、
酒井忠勝の養子分とすることで、酒井を名乗らせたうえで、
下総生実に2万5000石を与えて大名とするほどであった。
ある時、重澄から、病気を理由に、出仕を取りやめるとの届け出が出た。
重澄自身も、屋敷から出ず、引きこもったようだったのだが…、
実は、この病は仮病だったらしい。
静養中に、重澄は、妻や側室との間に、4人もの子をもうけていたのだから。
この事を知った家光の怒りは凄まじく、重澄を改易して、水野勝成に預けてしまった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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