山本勘助の見た松平清康☆ | げむおた街道をゆく

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ある時、武田晴信(信玄)が、山本勘助を呼んで聞いた。
「そなたの生まれた三河国では、近年、優れた大将は出なかったのか?」

これに勘助は答えた。
「最近では、松平清康という大将が、弓矢を取っては敗れること無く、

生国の三河を征服し、同国の侍大将たちを与力として従え、

いまにも尾張国を手に入れようと、意欲的に活動していました。

彼は尾張と数度の合戦を重ね、尾州勢五千に対し、三河は千の軍勢でも、

一度も負けること無く、尽く勝利を得ていました。

5年間の活動の間に、本国三河で与力となった侍大将衆は皆清康の被官となり、

彼を主君と仰いで、尾張は勿論のこと、美濃、伊勢にまで出陣し、

近隣諸国に威力を振るい、清康は武道の大家として名を馳せ、

遠国の浪人衆まで馳せ参じで彼の家中での奉公を望みました。

そして本国は勿論のこと、尾張の者まで清康配下に入ろうという勢いだった所で、

不慮のことで亡くなられてしまいました(森山崩れ)。

今は清康の息子である広忠の代ですが、他国に広げた勢力圏は勿論のこと、

本国三河すら他人の物になろうとしています。

もし清康が健在であったら、三河侍は今時分、

皆清康譜代として、他国に威力を振るっていたでしょうに、
果報少なく不運だったため、思いがけぬ死によって、

哀れにも今では本国の人々でさえ、
子息・広忠の統制下に、はいらない状況なのです。」

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 森山崩れ、松平清康

 

 

 

ごきげんよう!