三河一向一揆にて☆ | げむおた街道をゆく

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永祿6年(1563)11月25日、

土呂と針崎の一揆勢は、上和田へと押し出した。
 

これに岡崎の徳川家康は、自ら出陣。

両軍は激突したが、しばらくして一揆勢は敗勢となり、
妙国寺の方面へ逃げ出した。

これは一揆勢の罠であった。

彼らは、わざと逃げ出し、追撃してきた徳川勢を、針崎の森に置いた伏兵をもって討つ、
という作戦であったのだ。

いわゆる捨て奸(すてがまり)である。

さて、この撤退する一揆軍の殿を務めていたのが、

本多九郎三郎という侍であった。
 

これを徳川軍の大久保忠世が見つける。

忠世と本多九郎三郎は、古くからの友人であった。
忠世、本多を追いかける。

本多も忠世の姿を認めると引き返し、

「勝負!」
互いに打ち戦った。

 

しかし勝負がつかず、

「寄れや! 組もう!」
「心得た!」

互いに武器を投げ捨て、組み合いを始めた。
 

上に下にと揉み合っていたが、本多のほうが力優っていたか、

忠世はついに組み伏せられた。
大久保忠世、絶体絶命!

と、忠世、本多に向かってこう言い放った。

「いかに本多殿!

忠義に背き、一揆に与するのみならず、

昨日や今日までの朋友のよしみを忘れ、

私の首をとって、

一体誰の見参に入れようというのか!?」

本多九郎三郎、これを聞くと、

「確かになあ…。お前のような友人を討ち取っても、感状を得るような事ではないのだ…。」

と忠世を、引き起こした。

 

すると二人、

「くくく…。」
「あっはっはっはっは!」

互いに大いにうち笑い、そしてまた、左右に別れた。


ちなみに一揆勢の捨て奸だが、家康がいち早く、一揆勢の逃げ方がおかしいと気づき、
「追い打ち無用! 深入りするべからず!」
と命令を出したため、その計略も虚しくなり、

妙国寺から土呂、針崎へと引き上げたそうである。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 良き膏薬が如し、大久保忠世

 

 

 

ごきげんよう!