大坂冬の陣における旗本の切捨てや、
大坂夏の陣の遅参を理由に、
松平忠輝は、家康から蟄居謹慎を命ぜられた。
忠輝は、元和二年(1616年)の家康の臨終にも立ち会えず、
また葬儀参列も許されなかった。
同年七月には伊勢朝熊へ流罪、元和四年(1618年)には飛騨高山へ、
寛永三年(1626年)には信濃諏訪高島城へと移される。
夫人である五郎八姫は、元和六年(1620年)に仙台へ帰り、
14年ほどの結婚生活も終わりを告げた。
そんな忠輝は、諏訪で57年ほど長生きし、
天和三年(1683年)に逝去。
今の長野県諏訪市の貞松院に葬られる。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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