会津の蘆名盛隆に、三左衛門(大庭三左衛門)という小姓があった。
彼は18歳までに3度、敵と鑓を合わせたことから、三左衛門と号した。
はじめは二本松家に仕えていたが、蘆名盛隆が気に入り、これを所望した。
二本松側は、
「心を見届けて居ない者であり、如何かとも思いましたが、
たっての御所望ですので遣わします。」
と、会津に彼を遣わした。
会津において彼は盛隆に寵愛された。
しかし、後になるとその寵愛も衰えた。
蘆名盛隆の悪い癖で、彼は初めに寵愛した小姓も、
成長のあとは必ず悪く云い、噂も色々と言い立て、
嘲弄することを好んだ。
三左衛門もこの仕打ちを受け、深く憤った。
ある朝、盛隆が鷹を手に据えて居た所に出てきた三左衛門に対し、
彼を侮り嘲った。
三左衛門、一刀にて主人を殺し、逃走を図った。
蘆名家の家老たちはその座に居ながら、
呆然として三左衛門を仕留めることはできなかった。
その次の間まで切って出たときも、
ここに居た24,5人の番人たちは仕留められず、
彼はそこから駆け出た。
しかし蘆名家の者たちも追々集まり、遂に打ち留めたという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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