天正小田原の役で伊達政宗からの牽制の為に参陣の適わなかった大崎家だが、
その弁明が認められて旧領の三分の一程が認められる事となった。
大崎義隆、「禄高は減ったけど、家名は守れたようだ・・・。」
最上義光、「義兄上、徳川殿にも手を尽くしましたが、お役に立てず申し訳ない・・・。」
一栗放牛、「この様な仕打ちは某、納得いきません!」
奥州検地終了をもって大崎家復興となるハズであったが・・・。
政宗扇動する一揆のせいで、大崎復興は水の泡、旧領は全て政宗の物に。
大崎義隆は捨扶持2000石で蒲生氏郷預かりの身となり、
長子大崎義久は最上家客分1500石、
一栗高春は最上家家中相談役1000石となった。
大崎家中は完全に崩壊した。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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