秀吉への臣従☆ | げむおた街道をゆく

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豊臣秀吉公は、天正10年、明智日向守光秀を討ち取った後、天下を順次掌握した。
天正18年、秀吉公は諸国において私の争論をしてはならぬと、

固く禁制としたことを触れられた。
そのため伊達と相馬の間の調略は、互いに停止した。

同年、秀吉公は相州小田原に発向され、北条の門族を征伐されるということが、

この国までも確かに聞こえ来た。

そのため、

「将軍(秀吉)の御支配に預かるなら本望である。ともかく小田原に参陣然るべし。」
と、相馬義胤は相州へ参上し、浅野弾正少弼長政を頼りこれを言上した。

秀吉公は相馬に対し、少々悪印象を持っていた。

しかし石田治部少輔三成が殊更に懇意があり、
浅野長政以上に頼りと成り、

これによって相馬の言い分は疎意なく巨細に上聞に達し、

故に秀吉公は、

「相馬は小身ではあるが武勇の士将にて、大身の敵に向かって度々の戦功有りと聞いた。」

と仰せになり、義胤の謁見を許した。
 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 筆無精の義胤、相馬義胤

 

 

 

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