九戸政実の乱、処分の顛末☆ | げむおた街道をゆく

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天正19年(1591)、豊臣秀吉の奥州仕置への、

大きな反発の一つとして勃発した九戸政実の乱。
 

要害である九戸城に籠る政実に、浅野長政、蒲生氏郷などを中心とする、

6万の豊臣軍はこれを攻めあぐね、戦線は膠着した。
 

そこで南部信直の献策により、浅野長政は、

九戸氏の菩提寺である鳳朝山長興寺の薩天和尚を使者として、
九戸城に送り、書状を以って九戸政実に、この様に申し入れた。

『九戸がこのように籠城し、諸人をあい煩わせているのは意味のない行為です。

何故なら、天下を敵に受けてどれだけ防ぎ続けたとしても、

どうして本望を達せられるでしょうか。

終には城を攻め落とされて、皆々殺戮され、
一門郎党までも滅亡するでしょう。

ただし九戸は元来天下に対して逆意を持っているわけではありません。

であれば速やかに降参し、前非を改め、
京に上がって右の趣を弁明すれば、秀吉公もきっとお赦しになるでしょう。

その上私を始めとする諸大名があなたを弁護するので、

死罪、流刑ということには決してなりません。

よしなき謀反人となって一門が滅亡するよりも、

戦をやめ降人となってどうか城より出てください。
しかし、もしこれに同心無いのであれば、致し方なく攻め果たすでしょう。』

これに九戸政実は動揺した。


「その通り、私は元来天下に対して逆心があるわけではない。

弾正殿(長政)さえ納得しているのなら、

降伏したものを死罪や流罪にまですることはないだろう。
それに、私自身の身の上はどうなっても構わない。

だが心に懸かるのは11歳になるわが子・亀千代のことである。
あの子が生き延び、どこの野の末、山の奥であっても健やかに生活していけるのなら、

私はこの首を斬られても少しも厭わない。」

これに対し、政実の舎弟・彦九郎実親は、
「殿の仰ることは尤もだと思います。

ですが上方の習いとして、弓矢で以って敵を討つ事はせず、

ただ謀略ばかりによって骨折りすること無く人を倒すといいます。

去年、北条殿も、そのように謀られたために、小田原の城は落ちてしまったのです。
その上、仮に弾正殿が赦したとしても、

私達が直接反旗を翻した南部信直が私達を許すでしょうか?
侍というものは、死すべき場所で死なねば必ず後悔するものです。

今、この城を枕に潔く討ち死にすれば、

名は後代に残り滅亡したあとも人々はその薫香を感じてくれるでしょう。
殿はこれをどうお考えか?」

そう、はばからず発言し、これに九戸家中は、さもありなんと押し黙った。
 

しかし使者の薩天和尚はこれに、
「彦九郎様の仰ることも一理あります。

しかし弾正殿ほどの侍が、出家であるこの私に対し偽るとは思えません。
それに降参すれば命を助けると仰った以上、

南部信直も自我を押し通して殺害するようなことはしないでしょう。
とにかく天下を敵に請けて、万が一にも遁れられません。

一人の覚悟のためだけに万人を殺すというのは、

仏神の咎も深いものです。

一旦敵に下り、身命を全うし子孫の後の繁栄を図るのは、

これもまた孝行の道ではないでしょうか。
どうか恨みの心を止めて、これをお請けなさるべきです。」

この言葉に九戸政実は遂に、降伏を決めた。


当然、長政の嘘である


九戸城の本丸は蒲生氏郷が接収し、籠城衆はみな二の丸、三の丸に移された。

九戸政実は重臣たちとともに九戸城を出て、浅野長政の陣に出頭した。
ところがここで彼らは、

「降人の作法である。」

と武器を剥ぎ取られ、囚人のように一ヶ所に監禁された。

「騙された!」

もう遅かった。

蒲生氏郷は、

「九戸の者で城から落ちようとするものがあれば、すべて殺せ!」

と命じた。
 

政実の舎弟・彦九郎実親は降人に出ず、

一人であってもこの城を守って自害しようと思い定めていたが、
浅野長政から様々に、

『命においては問題ありません。どうか下城してください。』

としきりに勧められたため、
疑いつつも本丸を降りて二の丸に至ったところで、

蒲生氏郷の軍勢が本丸より銃撃し、撃ち殺された。
 

そして殺戮が始まる。

哀れを極めたのは九戸政実の北の方と子息・亀千代である。
城内に敵が乱入したため途方に暮れ、

北の方は亀千代の手を取り落人に紛れ城の外に出た所を、蒲生軍に捕らえられた。
そして氏郷の陣に引き連れられると、氏郷は外池甚五左衛門に命じた。
「首を刎ねよ。」

母子を後方の森に引き出し、甚五左衛門が太刀を取り後に回ると、北の方は、

「少し待ってください。心静かに最期の十念をしてそれから討たれたいのです。」

そう言うと泣きながら亀千代の側まで近づき、

「どうか、未練に見えないようにしなさい。

西に向かって手を合わせ、南無阿弥陀仏と唱えていれば、

必ず浄土に迎え取られますよ。」

と教えると、亀千代はおとなしく合掌し、念仏を唱えながら言った。
「早く討たれよ。」

そう言われて外池甚五左衛門は彼の後ろに回ったが、

誠に容顔美麗な子供が、細い手をあわせて畏まって居るのを見ると、
さすがに哀れだと感じ、暫く討つことが出来なかった。
 

この姿を見た者達、涙を流さぬものはいなかったという。

北の方は言った。
「私から斬られるのが順というものでしょう。

ですが、幼い者が母を討たれるのを見れば、きっと驚いてしまうでしょう。
先ず、その子を早く斬ってください。」

この言葉に外池は太刀を振るうと、亀千代の頸は前に落ちた。

それを見た北の方は守り刀を取り出し自害した。
外池は母子2つの首を取って氏郷のお目に懸け、氏郷から弔うようにと、

菩提寺である長光寺に送られた。

九戸城の二の丸に押し込められた九戸一族郎党は、四方より火をかけられ、

猛火の中逃げでてくる者達は、弓・鉄砲・槍・長刀にて討ち取られ、

刃を恐れ逃げる者達は、焔に巻かれ焼け死んだ。
老若男女の泣き叫ぶ声は天に響き、目も当てられぬ有様であった。
数代にわたって繁栄した九戸も、忽ちに一時の灰塵となって失せたのである。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 飛龍が天を行く、九戸政実

 

 

 

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