とある士の死☆ | げむおた街道をゆく

げむおた街道をゆく

信長の野望、司馬遼太郎、大河ドラマが大好きです。なんちゃってガンダムヲタでもあります。どうぞよろしく。

 

慶長6(1601)年、

志村光安の軍が、上杉領東禅寺城を攻めたときの話である。

城攻めの最中、光安は城下で上杉軍の哨戒部隊と遭遇し、

交戦の末一人の眉目麗しい若武者を捕縛した。

若武者は光安に、

「死んだ仲間に申し訳がない。武士の名誉を知るならどうか殺してくれないか。」

と涙ながらに頼んだが、光安は、

「(東禅寺)城は(最上軍に囲まれ)孤立無援で間もなく落ちる。

せっかく生き永らえた命を粗末にせぬ様に。」

と説得をした。

しばらくして東禅寺城は最上軍に降伏し、開城。

庄内にいた上杉兵は米沢への帰途についた。
眉間に皺を寄せ、米沢行きに葛藤を覚える様に見えた若武者に、

光安は、
「上杉家に戻るのに後ろめたさを感じるのなら、我が下で働かぬか?」

と彼を勧誘した。

光安は彼を気に掛け、若武者も光安に次第に心を開き、

酒田三万石に加増となった光安は彼を常に近くに置き可愛がった。

1609年、死の枕元で光安は彼に、

「儂が死んだ後も子の光惟を頼む。」

と言伝をして逝世した。

しかし1614年。
彼が別の用事で庄内を空けている間に、一栗の反乱により志村光惟が暗殺された。

光惟の葬儀が終わり、
慶長19(1614)年暮秋、一人の士が酒田青原寺の志村光安の墓の前で腹を斬った。

かつての若武者の名は力丸所左衛門。

上杉の重臣で東禅寺城主であった志駄義秀の甥の話である。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 性剛にして、志村光安

 

 

 

ごきげんよう!