最上家は二代目藩主急死後、義光の孫・義俊が幼弱であるとして、
義光の四男・義忠をかつぎあげる動きがあった。
これの中心であったのが鮭延である。
しかしこの動きが幕府に叛くものとされ、改易の憂き目にあう…。
鮭延は幕府の土井利勝に気に入られたのか、
古河に預けられ五千石の身分となった。
土井は優秀な官吏ではあったが武勇に功績がなく、
そのため武勇の誉れ高い鮭延を買ったのではとも言われている。
ちなみに彼は長谷堂合戦では志村光安と並び活躍している。
しかし鮭延は一切の政治から身をひき、
五千石すべてを、最上家から己を慕ってついてきた家臣に分け与えた。
また、改易の原因を作ったのを恥じたのか、鮭延家を意図的に断絶させた。
彼の死後、その徳を慕った家臣は鮭延寺を建立し、彼をしのんだという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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