子・光棟の死☆ | げむおた街道をゆく

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最上義光を支える最上直臣の重鎮に家宰の氏家守棟がいた。


守棟は義光の手となり陰となり、山形の最上家のために常に奔走し、

ようやく男子を天から授かったのは、

当時としては老齢に差し掛かる40歳近くになってからの事だった。

守棟は三人の息子を得たが、庶子の三之助は橋間の合戦で羽柴勘十郎に討ち取られ、

末子の某(後の親貞)は病弱のために幼少期から寺へと入れられていた。

守棟の嫡男・光棟は周りからの期待に違わぬ英邁で、

少年の頃から論語を嗜み、最上家の柱として将来を渇望されていた。

義光も光棟をとても慈しみ、

娘の竹姫を娶らせ名前に「光」の一字を与え、我が子の様にかわいがっていた。

しかし1588年、

上杉軍の出羽乱入に東禅寺氏への援軍として庄内へ派遣した草苅虎之助に付き従い、

氏家光棟も庄内十五里ヶ原の露となり、還らぬ身となった。

父の守棟は光棟の死を境に病がちになり出仕も滞る様になり、

三年程後に失意の内に没したとされる。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 最上家の謀臣、氏家守棟

 

 

 

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