最上八盾の中心人物であり、のち最上義光に臣従した延沢満延といえば、
若年の頃より大力として有名であった。
彼が、16、7の頃。
若侍達が多く寄り集まり、諸国の武辺のことなど語り合う事があった。
そのなかで非常によく喋る者が一人居たが、彼が急に進み出て、
「そうそう能登守(満延)聞いてくれ。
貴殿は力持ちだという話だが、それを是非試してみたい。
山形両所宮に大鐘が釣ってあるだろう?
最近も力自慢の兵たちが集まって、
この鐘の掛け下しが出来るかどうかで、その力を見せ合っていたよ。
貴殿ほどの大力ならあの位の鐘簡単に持てるだろう?
俺達が見物している前で、それをやって見せてくれよ!」
まあ、大人の力自慢でも手こずる鐘を、満延もそう簡単に持ち上げられるものか。
持ち上がらなければ笑ってやろう。
という魂胆なのだろう。
これに満延。
「承知。」
と簡単に答え、皆と共に山形両所宮に着くと、
その鐘を見るやいなや、瞬く間もあらん、
気がついたらすでに鐘を取り下ろしていた。
さらにひょいと抱えると自由自在に頭の上で回し、
さらに鐘を持ったまま雲井の上に飛び上がり、
お手玉のようにポンポンと取り扱った。
「何だ、提灯より軽いじゃないか。
この程度の軽い鐘を、なんでお前たちは大げさに言ってたんだい?」
そしてふと気が付き、
「あ、そうそう!この鐘俺にくれないか?
在所の鶴子(現山形県尾花沢市)まで持って帰りたいんだ!」
「い、いいけどお前、鶴子ってここから10里以上離れているじゃないか…。」
「大丈夫、大丈夫!」
延沢満延、この鐘を難なく鶴子まで持ち運んでしまったとか。
これを見た者、この話を聞いた者は、
彼のあまりに常識はずれの大力に、
呆れぬものはいなかったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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