綱元は朝鮮出兵のおり、名護屋留守居役に命じられて、政宗の名代を務めていた。
秀吉は大層綱元がお気に入りで、ちょくちょく城に呼ばれていたらしい。
ある日、秀吉が一言、
「鬼庭家は代々長寿の家系だそうだな?」
聞くと、
綱元、
「はい。しかし、運悪く父・良直は73歳で早死にしてしまいました。」
と答えたから秀吉仰天。
是非あやかりたいと、綱元を風呂に入れてその残り湯を飲んだとか。
綱元も鬼庭家の例にもれず長生きをしている。
18歳の頃に政宗が生まれ、政宗の死後4年後まで生きた。
数え年で92年の長寿であった。
そして、なんと綱元の命日は、政宗と同月同日の5月24日である。
その日を狙って逝ったのかはわからないが、
忠義篤い人物であったと伝えられている。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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