少年が主君に従って戦い退こうとした時、敵の老武者が傷つき倒れているのを見つけた。
「陣屋までお送りしよう。お名前は?」
「・・・名乗るほどの者ではない。敵の情けは受けん、斬れ!」
少年がこれを聞かず老武者を敵陣まで送り届けると、
老武者の甥と名乗る者たちが現れて、丁重に礼を述べた。
重ねて少年が名を聞くと、彼らは腰に帯びた瓢箪を外し、
「叔父の名誉のため、我らからは名乗れん。これを持って貴殿のご主君に見せれば良い。」
と言って少年を帰した。
主君に瓢箪を見せると、主君は、
「これは勇士、牛久隆直のものだ。大切にせよ。」
と少年に教え、瓢箪を渡してくれた。
少年は瓢箪を馬印にして奮戦するようになり、敵は瓢箪の馬印を避けるようになった。
ある日、馬印を失った少年は、敵の武者と渡り合い、組み伏された。
まさに敵の刃が振り下ろされるその時、少年の顔を見た敵は、みずから首を刎ねた。
不審に思った少年は、起き上がって敵の顔を見て驚いた。
かの老武者の甥、牛久隆直その人だった。
成長した少年は、原美濃守虎胤と名乗り、甲斐の武田晴信に仕えた。
天文23年(1554)、駿河加島で武田と北条が対峙した時、虎胤は故あって北条軍にいた。
味方の苦境を見た虎胤は、太田氏資を連れて敵陣に駆けこみ、小幡虎盛と挨拶を交わし、
馬場民部の備えを素通りし、小山田弥三郎の備えに突っ込んだ。
氏資が例の棒で当たるを幸い、武田の騎馬武者を七、八騎もなぎ払っている間に、
虎胤は、無事に傷ついた味方を、救い出して退いた。
小山田はかつての同僚に敬意を表して、
「美濃守が敵前での馬の乗りよう、しかと見よ。」
と部下に言って深追いしなかったが、
近藤右馬丞という侍が名乗り出て、虎胤に迫った。
虎胤は、
「殊勝な心掛けよ。」
と言いながら太刀を抜くと、あっという間に近藤の首を二度三度と、
みね打ちして落馬させた。
そこへ氏資が、
「さあ、見せしめにしてやる!」
と叫んで近藤に棒を叩きこもうとしたが、虎胤が、これを止め、
「この者は、甲州でわしの所にも出入りしていた者だ。命だけは助けてやってくれ。」
と言うので、氏資もしぶしぶ引き上げた。
当時、『鬼美濃の眼にも涙』として、評判になったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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→ 鬼美濃、原虎胤
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