慶長五年、石田三成は好意を手厚くして、九鬼嘉隆の一命を請うて味方に招いたが、
嘉隆は、
「すでに致仕して頼むべき家臣もいない。それに老年の身で一味しても無益だ。」
と応じなかった。
その後も三成は再三使いを立てて、
「無勢ならば紀伊国新宮の城主・堀内氏善が属するであろうから、
かの手の人数を従えて、指図をなさっていただきたい。」
と、しきりに申し送ってくるので、
嘉隆は、
「このうえ断れば、命を惜しむようなものだ。」
と、止むを得ず三成に味方し、息子守隆の鳥羽の城を奪い、
氏善とともにこの城に立て籠もった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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