鬼と虎と秀成と☆ | げむおた街道をゆく

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賤ヶ岳の敗戦後、捕縛され宇治槙島に移送された佐久間盛政に、

中川清秀の子・中川秀成が面会に来た。

 

さぞかし親の仇と罵るかと思われた中川秀成だが、

「武人の戦いの勝ち負けは時の運、父はあなたに敗れ、

あなたは秀吉の前に捕らわれた、が共に立派な武将だ。」

といって丁重に挨拶しました。

 

佐久間盛政はこの事に感動し、

「敵将の息子ながら天晴だ、自分の一人娘虎姫もあのような青年に嫁げれば...。」

と言い残して処刑されます。

 

この事を聞いた羽柴秀吉(豊臣秀吉)のはからいで、

虎姫と中川秀成が結婚し、

秀成はやがて豊後国竹田で岡城(現在の大分県竹田市)城主・大名となり、

夫婦の仲は至って良く嫡男・久盛をはじめ多くの子宝に恵まれました。
 

7人目の子を妊娠した虎姫は夫秀成に願い事をします。

「もし今度の子供が男子ならば、その子に亡き父・盛政の佐久間家を継がせたいのです。」
生まれた子は男子でした。

 

ところが虎姫は産後の肥立ちが悪く間もなく死んでしまいました。
 

しかし秀成は妻との約束を守ります。

秀成は生まれた子を内記と名付けると、

佐久間盛政の弟である佐久間勝之に養子に出しました。

勝之は内記を養育し元服させて『佐久間勝成』と名乗らせ自分の娘と結婚させました。
ここに盛政流佐久間家の復興は成りました。

 

この盛政流佐久間家は竹田に居住し中川家の親族衆として存続し明治まで至りました。
 

余談ですが虎姫は息子である嫡男の中川久盛にも頼みごとをしていました。

それは、「亡き父・佐久間盛政の菩提寺を建立して欲しい。」ということでした。
久盛も母の死後、約束を果たしました。
菩提寺の名を『英雄寺』と付けて...。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

こちらもよろしく

→ 鬼玄蕃、佐久間盛政

 

 

 

ごきげんよう!