天文22年、阿波守護である徳雲院様(細川持隆)は腹立ちの事があり、
奉行人の四宮与吉兵衛という者と談合し、
「三好実休を相撲があると知らせ呼び寄せ、討ち果たそう。」
そう仰せに成った。
この時、相談相手の四宮与吉兵衛が実休に返り忠をしているとは、
持隆は夢にも知らなかった。
持隆は用心もなく勝端の町の北の河端に、龍音寺という寺が在ったが、
そこに遊山に出かけた所、
実休は上郡の人数二千を呼び寄せこの付近に集結させた。
これを知った持隆は肝を潰し、そこから堅昌寺という寺に移ったが、
お供の者達は藪へ隠れ方々に逃散して、
最後には星相殿と蓮池清助という者の2人のみが、
お供をしているという有様であった。
ここで実休は持隆の無道を悪み、
「たった今、お腹を召されよ。」
と申し付け、これにより星相殿が介錯をして切腹された。
蓮池清助という者は不肖者ではあったが、
常々持隆の悪しき点を申し上げ諫言していたため、
御意に違い御扶持も枯れ枯れの状態であったにもかかわらず、
「お供申す」と立ち腹を切って果てた。
この清助の最後を褒めぬ者は居なかった。
実休はこの後、返り忠をした四宮与吉兵衛に知行を与えたが、
1年間召し使った後に成敗した。
この時、実休はこう言った。
「どんな身の上であっても、表裏して主君を果たした事は、悪きことである。」
この処分を人々は褒め称え、また四宮与吉兵衛を悪まぬ者はいなかった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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