小西行長の捕縛☆ | げむおた街道をゆく

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慶長5年(1600)9月15日、

関ヶ原の合戦が起こり、東軍の勝利に終る。

19日、この日、徳川家康は草津に到着したが、ここに小西摂津守行長を、

関ヶ原の町人・林藏主という者が召し捕えて参上した。

小西行長は関ヶ原の敗戦のあと、暫くあちらこちらに潜伏したが、

近江伊吹山の東、糠賀部村にて林藏主に発見された。

 

行長はもはや逃れがたいと思い、自ら、
「私は小西摂津守である。お前は私を絡めとって、内府(家康)の御感に預かるといい。」
と呼びかけた。

 

これに林藏主は、
「それならば、そこで自害なされませ。」

そう勧めたが、行長は、
「私は切支丹宗である。この宗門は自害することを禁じている。

であるからこそ私はここまで落ち延びたのだ。
そして雑人の手にかかるのは無念であるので、

いま自ら名乗り出て汝に知らせたのだ。」

こう言われ、林藏主は行長を馬に乗せ、関ヶ原の領主であった竹中丹後守に云い届け、
そして今日、草津の陣所まで送り届けたのである。

この事が伝えられると、家康は小西行長の身柄を村越茂助に預けさせ、

林藏主には御褒美として、黄金10枚が下された。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 泉州堺の人、小西行長

 

 

 

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