摂州白井河原の戦い☆ | げむおた街道をゆく

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長井隼人佐道利は、濃州金山城の城主であったが、

織田信長による美濃平均の時流浪し、
その後、足利義昭に仕えた。

ある時、摂津において、池田正勝を追放し池田衆を率いる荒木村重と、

和田伊賀守(惟政)とが相戦うことがあったが、

この頃、道利が和田の元へ使節に参った。

 

その時、合戦について言った。
「今の敵に対する軍立ては心得られませんし、地利も良くない。

ここは待って戦うべきです。
さもなければ必ず敗北するでしょう。」

しかし和田は、
「池田衆との戦では、普段から見方が少人数でも大利を得ている。

池田方の兵の事など全く気にならない。」
そう、大いに侮った。

和田は糠塚に陣をはり、荒木は馬塚に陣をはっていた。
この間は、荒木の方がつま先上がりの地で、和田方のほうが地形低く、

掛かりやすい場所であった。

果たしてこの日、和田は敗軍し、

義昭の使節であった長井道利も巻き込まれ討ち死にした。
 

これを摂州白井河原の戦いといい、元亀2年(1571)8月28日の事だという。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

こちらもよろしく

→ 摂津守の謀反、荒木村重

 

 

 

ごきげんよう!