永禄八年六月十五日。
大和(大和三位入道宗恕家乗)と、
武家(将軍家)の御小袖(足利尊氏が着用し、将軍家伝来の白威の大鎧)の間での、
鳴動について雑談した。
普広院殿(足利義教)が殺された時、兼日鳴動した。
慈照院(足利義政)の御代にも鳴動し、そのため御座所を改めた所、
常の御座所は悉く転倒したという。
そして今度(永禄の変)でも鳴動し、また後日に重ねて、一日に三度鳴動したという。
であるのに、足利義輝は御用心がまったく無く、故に御運が盡きたのだろう。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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