越前・朝倉氏の配下国人衆で猛将として近隣諸国にまで名が知れ渡っていた武将に、
”真柄十郎左衛門直隆”という人物が存在した。
彼は2.2m、250kgの巨躯を誇り、
5尺三寸(約175cm)の大太刀を自在に操る豪傑であった。
そんな武勇の誉れ高い彼も、
姉川の合戦において自軍の敗走を助けるために敵陣深く切り込み、
同じく豪傑の弟・直澄や嫡男・隆基共々、
徳川家康配下の向坂三兄弟に討ち取られてしまう。
一族の重鎮を軒並み失ってしまった真柄一族ではあったが、
越前・真柄庄において、
その後も朝倉氏の配下として細々とではあるが存続していた。
1573年に織田氏配下となっていた朝倉旧臣達の主導権争いに端を発した、
越前一向一揆において、
真柄庄に大挙押し寄せた一揆勢達によって、
真柄一族は長く治めた真柄庄から追放されてしまう。
名高き武勇の前当主達不在の真柄一族では、
越前国内を席巻する一向宗を食い止める力は既になかったのだ。
一族はそれぞれ各地へと散り散りに逃れ、
ここに真柄の名は歴史の中から消えていったのだった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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