高山右近は、キリシタン禁止令にもめげず、
大名の地位を剥奪されても信仰を捨てなかった。
ついに慶長19年(1614年)、神父や信者200名余りと国外追放された。
船が沈没しかかったものの、なんとかマニラに到着したのであった。
宣教師らの報告により右近の存在は海外でも有名だった。
そして右近らがマニラに到着したとき、
「日本から聖人がやってきた。」
祝砲が打ち鳴らされ、熱狂的歓迎で出迎えられた。
まさかこんな歓迎を受けるとは思っていなかった右近は、大層驚いたという。
フィリピン総督のシルースは右近に大邸宅を与えて歓迎の意を表した。
しかし、僅か40日後に右近はマラリアにかかり病床につく。
シルースらの手厚い看護の甲斐もなく、
「神父やキリシタンに囲まれて死ぬのは幸せだ。」
と言い残して、63才で世を去った。
そして右近が死んだ時は、国を挙げての壮大な葬儀が行われた。
右近の娘は、
「こんなに素晴らしい葬式を、挙げてもらえるなんて。」
と、感動して泣いたそうな。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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