信盛、その後☆ | げむおた街道をゆく

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織田信長の勘気に触れた佐久間信盛は天王寺を出ていった。

侍や小姓は皆退散し、たった三人が高野山まで従った。

しかし、そのうち二人もまもなく退散したという。

信盛は高野の南東の相江というわずかな所に居ついた。
金子もかろうじて十枚ほどを持参するだけだったという。

ある時、山岡景友は思い立って信盛を訪問し、平井安斎もこれに同道した。
信盛は対面して涙を流し、とても感悦した。
二人が信盛を訪問したことを、その頃の各々が感じ入ったという。

天正十年正月十六日、信盛は紀州熊野の奥で病死した。

信長は気の毒だと言って、
信盛の子・甚九郎を召し直し、織田信忠に奉公させた。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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→ 退き佐久間、佐久間信盛

 

 

 

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