武田信繁が、子供の頃。
父親・信虎は、なぜか長男・晴信(信玄)を疎んじ、
信繁を殊の外可愛がり、家督は信繁に譲りたい、
とまで言いだすようになる。
こうなると家臣団も、晴信派、信繁派に分かれ、
武田家の行く末も危ういものと思われた。
しかしこんな中、信繁は信虎から珍しい玩具を贈り物された時でも、
「これは兄上様のものです。」
と、晴信に届けていたという。
長幼の序を守ると同時に、父に疎んじられる兄を哀れむ仁の心情も多いにあったと思われる。
仁なき忠義は心なき礼儀作法であるが、
信繁には形式化したところはなく、真心からの礼儀作法であった。
後、信繁が成人した後、自ら直属の家臣たちに言った。
「信玄様は兄ではない。
甲斐武田家当主だ。
間違っても我ら信繁家臣団の者たちは、
信玄様の弟直属の家臣団などと誇ってはならぬ。」
と諭し、
有名な99箇条の家訓の第一にも、兄・信玄への忠義をあげていることは、
今に伝わる通りである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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