天正14年(1586)、豊臣秀吉の九州征伐での出来事。
前線において先鋒・蒲生氏郷は、大活躍。
厳石城を落とし、軍の士気は上がっていた。
が、一人打ちひしがれている者がいた。
後軍に配置された、結城秀康、12歳。
この時、初陣であった。
佐々成政が、どうしたのかと訊ねると、
秀康は、
「氏郷殿の活躍に比べ、自分には何の戦功も無いのが、悔しくてなりません。」
と、涙を流しながら語った。
これに成政は、何をおっしゃる、あなたはまだ若い。
「戦場で、功を上げる機会は、これからいくらでもあるではありませんか。」
と、慰めたが、
「この、無念を抱いた今日と言う日は、
取り返したくても、もう来ないではありませんか!」
この答えに感心した成政は、秀吉の陣でこの事を語った。
あの御気性、流石は徳川家康殿のご子息である事よ。
よく似ていらっしゃる。
これを、秀吉が聞きとがめた。
「それは違う。わしだ。」
「は?」
「秀康はわしの養子になったから、武勇も気性も、わしに似たのさ。そうであろう?」
そう、答えたと言う。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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