元亀元年の八月吉日、松平竹千代が三河岡崎城で元服した。
徳川殿の嫡男であり信長公の婿であったので、
信長の信の字が遣わされ徳川次郎三郎信康と名乗り、岡崎殿と呼ばれた。
信長公は、この祝い事に大変お喜びだった。
しかしこの時、あやしげなことがあった。
信康の元服の祝いとして、浜松城にて十五番の猿楽の興行が行われたのだが、
この時、猿楽師の観世十郎が、うっかり次のような不吉なことを言ってしまった。
「今日の能組は、以前、今川義元が信長公に討たれる前、
駿府において氏真が、所望して行った能組と全く同じですね。」
家康・信康は、この発言を殊の外気にかけ、ついには観世十郎を勘当した。
後で思い返してみれば、これは信康の行末が、
不幸なものになる前兆だったのだろう。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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