徳川秀忠の御代、常陸国鹿島社の鳥居が破損したため、幕府により新たに建立された。
鳥居の完成後、その御礼として鹿島社の神主が江戸に出て、島田治兵衛を頼んで、
この建立に尽力した本多正信の元に参った。
この時、神主は正信への進物として、杉原紙三百枚を持参していた。
しかし正信はこれを見ると、
「遠方よりお越しいただいてかたじけない。
殊に音物まで念を入れられたこと、祝着に思います。
しかしながら、これはお返しいたします。」
そう言って進物を返した。
神主はこれに困り、
「少分の品ですのでお恥ずかしいですが、
遠方より持参したものですので何卒御収納下さい。」
神主に同道した島田治兵衛も、
「神主が、今回の鳥居建立の悦びとして持参いたしたものなのですから、
御収めあって然るべきです。」
と執り成した。
しかし正信は笑いだし、
「この進物は、社人達から代金を集め、
それによって購入したものを神主は持参したのでしょう。
しかし神前に対しては、私こそ寄進すべきものです。」
そういって受け取ること無く返した。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく
ごきげんよう!