康政、秀忠を庇う、その後☆ | げむおた街道をゆく

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秀忠が、康政の執り成しに感激したのは言うまでもない。

中納言どのみづから御筆を染められ、康政がこの度の心ざし、

我が家、有らん限りは子々孫々に至るまで、
忘るる事あるまじき由の御書を給はりしとぞ聞こえたる。
と『藩翰譜』は述べいる。
 

また関ヶ原の論功行賞として、家康は康政に水戸二十五万石を与えようとした。
 

しかし康政は、第一に自分はこの度の秀忠様遅参の責任があり、

むしろ切腹がふさわしいのに、かえって加増されては依怙の沙汰となり、

ご政道を誤るもとになる事。
次に、水戸は江戸から三十里で、道中二日かかるが館林からば十三里で、

一日行程でありいざという時に、
水戸では急場の用にたたぬことを理由として、これを固辞した。
 

これを聞いた家康は<七枚綴りの御神文>を康政に与え、

「徳川家のあらん限り、榊原家のあらん限り、
反逆は格別、外の不調法では、長く見棄てはしない。」

と誓った。
 

これが榊原家の家宝中の家宝として、後代まで榊原家を保護してくれることになる。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ ”無”の字の旗指物、榊原康政

 

 

 

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