松永星☆ 天正五年、松永久秀が亡んだ後、彼の居城であった多聞山城の家屋を毀ち、 信長はその建物を京都二条に造作し、親王(誠仁親王)に奉った。 この秋、客星(彗星)が未申(西南)に表れた。 時の人々はこれを「松永星」と呼んだ。 『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 こちらもよろしく → 平蜘蛛の釜、松永久秀 ごきげんよう!