微塵に砕けた☆ | げむおた街道をゆく

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後に人々は算段して、

「これ(明智秀満が吉広江の脇差を渡さなかったこと)は、

松永殿(久秀)が、大和信貴山の城で切腹した時、

櫓の下へ付いた佐久間右衛門(信盛)の手勢より、

城内へ呼ばわりかけたのと、ちっとも違わない。」

と、申されたのだという。

その子細は、佐久間右衛門が所存を出されて、

松永殿へ申し付けられた言葉だと聞いている。

「この度の事に及んでは、内々に御秘蔵の平蜘蛛の御釜を、

上様(織田信長)も常々御望みに思し召されておられる故、

御出しになるのがもっともである!

 それで滅んでしまっては、あまりに本懐なき次第と存じ奉る!」

以上の通りに松永殿へ告げ知らせたとおぼしく、ややあって城内からの返事があった。

「平蜘蛛の釜と九十九髪の茶入、これは来世まで持って行き、慰みにと存じていた。

そんなところに、安土の御城で信長殿は御自身で御茶を下され、

その時に、『いつまでも御手前の九十九髪の茶入で数寄を致すがよい。』

と、仰せられたのである。

その時に私めは茶室を新しく建て、九十九髪で信長殿に一服申し上げようと存じていたのだ。

しかし、その頃の信長殿は私めを方々に御遣わしになられたので、

その機会もなく打ち過ぎた故、九十九髪を安土の御城で進上したのである。

しかしながら、平蜘蛛の釜と私めの首の二つは信長殿の御目には掛けまいぞ!」

このように返答すると、松永殿は平蜘蛛の釜を微塵粉灰に打ち割り、

その言葉に少しも違わずに首は鉄砲の薬で焼き割り、

平蜘蛛の釜と同様に微塵に砕けたのである。

この九十九髪は、古に九十九石の田地で買い取ったため、その名で呼ばれたと承っている。

信長殿は御秘蔵なされ、御最期の時に本能寺で焼き割れたと、相聞こえ申す事。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 平蜘蛛の釜、松永久秀

 

 

 

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