高虎と黒田官兵衛は親しき間柄であり、
元々は息子の長政とも悪い仲ではなかった。
しかし関ヶ原の折の意見の対立を機に、その間柄は壊れ、
終生の不和となるに至った。
ある時、長政の噂を斉藤与三右衛門と申す者が高虎に語ったので、
高虎は与三右衛門を叱ってこう言った。
「筑前守と我と仲が悪い事は皆人の知る所である。
仲が悪い相手の事を悪いように言えば、
我らは喜ぶであろうと思われているのではないか。
そのような考えは非常によくない。
全て仲が悪い人の事は善悪とも一切語らない事と、我は心得ている。」
いい話か悪い話か微妙に悩んだのだが、二人の仲が悪い話という事で。
ちなみに、後に藤堂家と黒田家で縁談の話が持ち上がったのだが、
結局は破談になった。
「あそこはホント仲悪いよな。」と書き残したのは、
細川忠興公である。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく
ごきげんよう!