今に伝わる古い謡がある。
「行ったら戻らぬ赤木のお城、身捨てどころは田平子(たびらこ)じゃ」
太閤検地に激しく抵抗し頻発する大規模な一揆に、
いよいよ疲労困憊した豊臣秀長は、
藤堂高虎らに城を築いたうえでの一揆討伐を命じた。
後に、築城の名手と呼ばれる高虎は、
なるほど小規模ながら恰好の砦となる立派な城を築いた。
さて、城は完成した。
その祝儀をのべるように公布され、
土地のおもだった者たちも招かれた。
彼らは一揆の首謀者でもある。
一人ずつ奥に通された彼らは、そのまま捕らえられ、打ち首となった。
城の西方にある田平子峠に、さらされたその首は150とも300とも。
高虎在居の期間、ついに一揆は起こらなかった。
城の名は、赤木城。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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