主君替え、九人目および十人目☆ | げむおた街道をゆく

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その風体を見れば、あらぬ噂をたてられるのも無理はない。
二代将軍秀忠に仕えていた藤堂和泉守高虎は、いまだ滞っている和子入内に関し、
将軍の使者として朝廷を訪れた。
いかに装束を改め、礼を尽くして参内しようと、その気迫は武将のそれであった。
しかも声も背も図抜けて大きい。

やがて首尾よく事が運ぶと、後の世の人々はこう語った。

高虎公は、天子様の御簾の内に入り御笑談された後、
居並ぶ五摂家その他公家衆を前にして、言った。
「かつて武家にお背きになった天子様を左遷した例もある。
我らは東より参上し、事をまとめず帰るようなことはしない。
このままご同意いただけぬなら、天子様に左遷をお勧めしたうえ、
我らは切腹いたすまでのこと!」
震え上がった朝廷は和子入内の話を進めた、と。


三代将軍・家光は、久々の高虎の登城を喜んだ。
「和子様入内の折りの、あの脅しはまことの話か?」
家光が尋ねると、高虎は平伏して言った。
「この高虎、浅学にして短慮なれど、礼節は心得ておりまする。
だれぞが尾ひれを付けた噂にすぎません。」
「そうであろうな。して、そなた具合はいかがか?」
七十を前に眼病を患った高虎は、この頃にはほとんど視力を失っていた。
秀忠は高虎が出仕の際、難儀せぬようにと、
江戸城の三の間までの廊下を真っ直ぐにし、駕籠の乗り入れを許可した。
それを聞き及んだ家光は、三の間から次の間までの廊下を真っ直ぐにした。
「もったいなく幸せな心持ちにございます。」
高虎ははらはらと涙をこぼした。


藤堂藩三十二万石の後々のことを頼み、身辺を整理すると、
高虎はもう天命に抗おうとはしなかった。
床に伏すと静かにその時を待った。

一六三〇年十月五日。
臨終の際には、夏の陣で散った家臣たちの名を呼んでいたとも伝わる。

「御遺骸には、隙間なく傷があった。槍傷、弾傷もあちこちにある。
右手の薬指と小指は切れて爪がない。
左手の中指も一寸ほど短く、右足の親指の爪もない。
左右の手、指の腹には節が立つように豆がいくつもあって、
これはたびたび戦場で馬の鞍坪をお叩きになったため、とのことである。」
遺骸をあらためた森石見なる者は、高虎の生きざまをそう語った。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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→ 下天を謀る・異聞、藤堂高虎

 

 

 

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