槌山攻めにて(1)☆ | げむおた街道をゆく

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天文20年(1551年)、陶隆房が大内義隆に謀反し大寧寺の変が勃発。

安芸の国では陶の依頼を受けた毛利元就が、

義隆派の平賀隆保が籠る頭崎城を落とし、

更に隆保が逃げ込んだ菅田氏の槌山城を、

息子の隆元と吉川元春率いる4000の軍に攻めさせた。
 

隆元は抜け駆け禁止令を出し、

これを破る者は例え抜群の戦功を上げても厳罰に処すと固く命じた。
隆元麾下の吉田勢はこれを守り抜け駆けをする者は居なかったのだが、

元春率いる新庄勢の若者達はこっそり抜け出すと敵城の切岸を登り矢戦を始めた。
 

敵も応じて矢を散々に射かけ、新庄勢は怪我人が続出して寄手はたちまち劣勢となる。
隆元は坂新五左衛門を元春の元へ遣わし、
「お前の兵が抜け駆け禁止令を破って戦を始めている。

まったくどうしようもない。
残らず捕らえて首を刎ねよ。」

と殊の外に激怒した。
 

元春は新庄勢に、

「早く引き上げるように。」

と何度も下知したが、
新庄勢は敵と真っ向から取り結んでいるので、引き返しようがなかった。

この時、元春は陶から贈られた近江黒と言う馬に跨り矢戦を見物していたが、

戦気に当てられたか、近江黒が逸るので二宮杢助(俊実)に近江黒の口を抑えさせていた。
 

元春は二宮杢助に、

「お前行って味方を引き上げさせて来い。」

と命じ、二宮は、

「かしこまりました。」

と、鑓を持った小者一人連れ駆け出して行くと、

途中60ほどの兵と率いた味方の安国紀伊守とすれ違った。

 

安国は、
「これは二宮殿。我らも一競り合いしたく思って駆けつけましたが、
敵が猛勢で合戦を待ち望んで待ち受けておりますので、この少人数で不利な戦を仕掛け、
敵に利するよりはと、引き退いておりました。
二宮殿も小勢のようですな。早々にお引き取りください。」

と言った。
 

二宮はこれを聞いて、
「吉川の手の者は、敵が大勢であっても引き返すことはありません。
好機を見計らって一合戦してきます。」
と言い捨てて味方のもとに駆けつけていった。
二宮は味方を引き上げさせることなど念頭にはなく、逆に、
「皆よく狙って鑓の者の脇を射抜け。一合戦してやろう。」

と味方を勇気付けて、
後に続く勢を今か今かと待ち受けた。
 

すると藪の中から粟屋弥七郎がつっと走り出てきて、
「来たな杢助。

私も先ほどから一競り合いしようと、

味方が続いてくるのを待っていたのだ。
よく来てくれた。嬉しいぞ。
さあ、勇気を出して心を合わせ、一合戦しよう。」

と言う。
 

二宮も、「それがいい。」と、真っ先に立って攻め上った。
そこへ抜け駆け禁止令を守っていた吉田勢から、

楢崎市允・波多野源兵衛尉・尾崎新五兵衛尉・赤川源左衛門・桂善左衛門・福原左京などが、

こっそりと駆けつけてきて、後に続いた。
忽ち乱戦となり、二宮・粟屋ら抜け駆け毛利勢は奮闘の末に傷付きながらも、

城方の菅田三郎左衛門を討死させる功を上げる。

なお、この矢戦では槌山城は落ちず、隆元の怒りは止まなかった。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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→ 平重盛以来の御名将、毛利隆元

 

 

 

ごきげんよう!