天正11年4月、近江では賤ヶ岳の戦いが進行していた。
さて、柴田勝家は、3月より備後鞆にある将軍・足利義昭と連絡を取り、
義昭の上洛を支持し、
義昭を通じて毛利が対秀吉の軍を出すことを求めた。
ちなみにこの義昭の上洛に関しては、徳川家康も支持を表明しているので、
かなり大掛かりな政治的策動があった模様である。
この義昭よりの要請に、毛利家当主・毛利輝元は、
談合衆(毛利家最高幹部)の吉川元春、小早川隆景、福原貞俊に意見を求めた。
彼らの出した結論。
『両軍の強弱が解らない以上、我らは両方にいい顔をして、
動静を見守っているのが良いでしょう。』
方針は、そのように決まった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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