庄内藤島一揆☆ | げむおた街道をゆく

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天正18年(1590)から始まった庄内藤島一揆は、

雪の荒れ狂う冬を越え、翌年になってもおさまらなかった。

この間、攻め手の上杉勢は、何度か和睦の使者を送ったが、一揆勢は受け入れなかった。
そこで直江兼続は一計を案じ、配下武将を和議に赴かせ起請文を作成し、交渉した。
これに応じた一揆首謀者・金右馬允は佐渡に流された。

それからおよそ三ヶ月後の九月、

豊臣政権より藤島一揆の残党狩りを命じる文書が上杉家に届く。
 

藤島一揆の者たちは、九戸政実の乱とつながりがあるとみられたのだ。
かくして上杉の率いる大軍が庄内に入り、熾烈な残党狩りを行ったのだ。

その様子が『庄内騒動故老聞書』という本に記載してある。
 

上杉勢は村々を攻め、女子供まで捕らえた。
藪に隠れた者は槍で突き、木に登った者は鉄砲で撃ち殺す。

美形の女性などは侍どもが集団で嬲り、殺される者の数がしれなかった。
太い竹に子供の首を五六個吊し担いで持ち歩き、

痩せ馬の尾に老若男女の首を髪で結びつけ、
ひきずって練り歩いた。

溝は死体であふれ、道は屍だらけであった。
修羅の巷とはこのことであろうか。
地獄の責めとはこのことかと生存者の老人は語った。
住民が全滅してしまった村もあった。

狼が夜な夜な死体を食い荒らすので、この夜の終わりかと思えたそうだ。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 天地人・異聞、直江兼続

 

 

 

ごきげんよう!