武田信玄の七男に、信清という人物がいた。
武田家が滅びた際、彼は高野山へ脱出した後、
姉・菊姫が嫁いでいた上杉家を頼り、
上杉景勝の家臣として仕えることになる。
ここまでは結構有名な話。
そして、菊姫が病に伏した際には景勝は、洛中の名医を招いたり、
祈祷を行わせ、一方の信清は姉を見舞うべく急遽上洛をしたりしている。
さて後年、大久保長安事件というのが発生し、
これに武田の一族も巻き込まれていくことになってしまう。
信清の舅・甲斐長延寺の実了や信玄の次男・海野竜芳の子息も連座したとして流刑になり、
信清のもとにまで嫌疑が。
そこで景勝は家康の側近・本多正信に書状をしたため、
さらに景勝の家老・直江兼続は、江戸にいた子息・平八とつなぎをとり、
情報収集に努める。
この甲斐あってか、信清は連座を免れたという。
かつて川中島で死闘を繰り広げた両雄の子孫たちが、縁戚となり、
その危機に際してこういう動向を示しているというのも興味深いと思う。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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