父の仇の子であるのに☆ | げむおた街道をゆく

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天正十二年八月、上杉景勝自ら新発田重家を攻めた、八幡表の戦いでのこと。

この時、前の琵琶島城主・宇佐美駿河守定行(定満)の子・民部少輔勝行は、
彼の父が生害し、本領没収され、浪人となり、また景勝からも勘当され、

小千谷五泉あたりに逼塞していたのであるが、いかにしても景勝より勘当を赦され、

本領に還住せんと志し、朱傘に金の短冊の指物、

宿月毛の馬に乗って新発田陣へ懸かり入り、屈強の敵二騎と懸かり合わせた。
 

一騎は切って落とし、一騎は引き組んで討ち取り、その兜首二つを提げ、

その身も馬も血だらけになって、
景勝の旗本に馳せ来ると、平林内蔵助(十八歳にて小姓であった)を頼み、

「御勘当御免なされ、この高名の首を御実見に入れるため、御目見えいたしたい!」

と望んだため、この事を景勝に申し上げると、景勝は気色俄に変わり、

目は松明のようになって、
平林をはたと睨みつけ、しかし何の言葉もなく、これには平林も頭を垂れ、

重ねて申し上げる事も出来なかった。
 

これに宇佐美民部も、討ち取った二つの首を捨て置き、泣く泣く立ち上がって退いた。

景勝としては、

「実父・政景を殺した宇佐美駿河の子であるのだから、父の仇の子であるのに、

どうして勘当を赦せるだろうか。」

との事であった。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 不識庵以来の軍法、上杉景勝

 

 

 

ごきげんよう!