上杉家中にあって、深沢・九鬼の両名は、たびたび家中の法度に背くことがあった。
規律に厳しい謙信は業を煮やし、ついに両名の誅殺が決まったが、
剛勇をもって知られる両名にあたるには、
相応の人数と準備が予想され、なかなか処断できなかった。
これを聞きつけた謙信の甥・喜平次が名乗り出た。
「我に、その者共の成敗をお任せあれ。」
これに謙信は、
「あやつらは数々の戦で働いた豪の者であり、
一人につき三人向かわせても討てるか危うい。
まして幼いお前に任せるなど思いも寄らぬ。
しかし、その志は勇敢であり、見事だ。」
と、申し出を褒めはしたが許さなかった。
だが喜平次は、
「成敗し難い罪人を斬れば、無断で斬ってもむしろ手柄となろう…。」
あきらめず、剛勇の二人を斬る策を練った。
9月9日の重陽の節句を祝うため、家中の士の総登城が命じられた。
当然、深沢と九鬼も登城し、偶然かこれも喜平次の仕掛けか、
両名は近くの席に座った。
喜平次は、その場に近づくと、まず深沢に声をかけた。
「その方、目を患っておると聞く。御実城様の耳にも入ったぞ。
私に目薬を賜り、その方の目に薬を差し、具合を尋ねてまいれとの御意じゃ。
ありがたく受けよ。」
そう言って深沢を仰向けに寝かせ、唐辛子をその目に振り掛けると、
「上意なり!」
叫んで脇差を抜き、苦しんでいる深沢を突き刺した。
「何をしている!上意であるぞ九鬼、加勢せよ!」
突然の出来事に呆然としていた九鬼は、
喜平次に声をかけられ、反射的に、未だもがいている深沢に斬りつけた。
九鬼の振り下ろした刀が深沢の体に存分に食い込み、
とどめを差したのを見届けた瞬間、
喜平次は脇差を持ち替え、深沢に刀を食い込ませたままの九鬼の胴を一気に切り裂いた。
謙信はこれを大いに褒め、
預かっていた喜平次の父・政景の所領をことごとく返してやった。
のちの景勝の初手柄の話。
ときに14歳のことだという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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