家康が、大御所の頃。
福島家の重臣たちが一同に、家康にお目見えすると言う事があった。
勇猛で鳴る福島家、どのような豪傑が来るのかと、家康に仕える小姓たちは噂しあった。
ところが現れたのは、皆年齢以上に齢を取り、そしてある者は足を引きずり、
ある者は片目がなく、ある者は口が裂け、およそ五体満足なものが一人もいない、
みすぼらしい人々であった。
謁見が終わり彼らが退出すると、小姓たちは我慢に耐えられなくなったように笑い出した。
「なんだあの満足に戦えそうもない年寄り達は。あれが福島家の重臣か?」
それを聞いた家康は、激怒した。
「お前たちは本当に情けない者達だ。
勇者を外見でしか判断できないのか!?
あの者達がいかに戦国乱世を戦ってきて、
福島に名をなさしめたか、その偉業を成し遂げた才能を、
あの姿に見る事が、出来ないのか!?」
小姓たちは、言葉も無かったと言う。
後日、福島家が改易された時の事、
福島家の広島城退城は、城明け渡しの作法があまりに完璧だったので、天下の評判になった。
そのため、福島家の家臣たちは、
諸大名から、「あの家の家臣なら。」と、引く手あまたで引き取られた。
退城を指揮した主席家老の福島丹波は、旧家臣達の再就職を全て世話し、
それが終わると自分は、どこにも仕える事無く、
人知れず隠棲し、主家に殉じたという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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