築城問題☆ | げむおた街道をゆく

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福島正則は、関ヶ原の後、安芸備後両国を拝領し入国すると、

折々にその国境を見て廻った。

 

周防国との国境である、北方という地に新城を建築してそこに福島伯耆を置き、

出雲国との国境である三好という地にも新城を建築し、小関石見を置いた。

 

また伯耆国の国境にも新城を築き、ここには山路久之丞を置いた。

備中との国境には神鍋という古城があったが、これを改修して福島丹後を置き、
備後の友という場所にも新城を築き、大崎玄蕃を置いた。
 

また備後の三原の城には刑部少殿(福島正之)を置き、広島は主君の居城とした。

これらの城には、もし国の騒ぎが起これば在地の庄屋や組頭から人質を取り、

矢倉に入れ置く事になっていた。

 

これは一揆を起こさせないためである。

ところが、この正則による新城建築が徳川家康に聞こえ、家康から、

「とにかく、一国一城の他は固く法度である。」

と仰せ付けられたため、福島正則はmこの5ヶ所の新城の天守、矢倉、塀を破却したが、
石垣はそのままにしていた。

 

そして、それらの城主はそのままその地に、平屋敷を築いて置かれた。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 岐阜城攻め、福島正則

 

 

 

ごきげんよう!